テーマ 27突然変異により遺伝情報が変化します

ヘルマン・ミュラー シーモア・ベンザー ヘルマン・ミュラーは、X線で誘発される突然変異の研究により、1946年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。シーモア・ベンザーは、遺伝学を使って、突然変異はDNA配列の変化によりもたらされることを証明しました。

シーモア・ベンザー(1921-2007)


シーモア・ベンザー

 シーモア・ベンザーは、1921年に、ニューヨークのブルックリンに近いベンソンハーストに生まれ、そこで育ちました。両親はポーランドのワルシャワからの移民で、衣料品業界で働いていました。彼の家族は特に科学に関心はありませんでしたが、ベンザ―は自分の地下室の部屋でハエを解剖し、シナゴーグ[ユダヤ教の集会]では、原子物理学の本を読んでいました。

 15歳でベンザ―は高校を卒業し、リージェンツ奨学金を経て、ブルックリン大学で物理と化学を学びました。彼はパデュー大学の大学院でも物理の研究を続け、そこで軍事用レーダーの秘密プロジェクトに関わりました。

 大学院後半の時期に、ベンザ―は” What is Life? [生命とは何か?]”という短い本を読みました。これは、ジェームズ・ワトソンが鳥類学からDNAの構造へと探求心を移したきっかけとなった本でもありました。エルヴィン・シュレディンガーのこの本は、ベンザ―に同じ影響を与えました。遺伝子の不思議な性質が、解決すべき問題のように書かれていたからです。ベンザ―は、1948年のコールド・スプリング・ハーバー研究所のバクテリオファージのサマ―コースを受講しました。ギュンター・ステントも一緒でした。コースの中での最も重要なスキルである、試験管を片方の手で持ち、もう一方の手で試験管の栓を取り、ピペットを操ること、を身につけるのに苦労しながら、ベンザ―は生物学に夢中になっていきました。

 ベンザ―はパデュー大学に物理学の教授として戻りました。しかし、多くの時間を他の分子生物学の研究室を訪れ、そこで研究をするのに費やしました。1953年、ワトソンとクリックがDNAのモデルを発表した後、ベンザ―はバクテリオファージの rII遺伝子の変異を使って、遺伝子の中を探索する研究計画を立てました。マックス・デルブリュックは、その計画を馬鹿にして、ベンザ―に「その案を書く前にハイボールのトリプルでも飲んだに違いない」と言いました。ベンザ―の5歳の娘のマーサは、この計画にもっと好意的で、細菌に感染する2つのファージを彼女なりに描きました。1971年、ベンザ―は、この“分子遺伝学への輝かしい貢献”によりラスカー賞を受賞しました。

 rIIの系での研究を10年続けた後、また2人の娘の育児から興味が生まれ、ベンザ―は、行動が遺伝子によってどのように形づくられるのかという研究を始めました。カリフォルニア工科大学の生物学の教授として、彼は大学院生のロナルド・コノプカと、生物が時間に対する感覚をコントロールする遺伝子を、最初に見つけました。ベンザ―は、この遺伝子と行動に関する先駆的な研究で、1993年にクラフォード賞を受賞しました。彼はアルバニー・メディカル・センター生物医学研究賞を2006年に受賞しました。これはアメリカのノーベル賞と呼ばれているものです。ひとつの遺伝子の突然変異が、行動に大きく影響を与えることをショウジョウバエで示したことに対しての受賞でした。

 ベンザ―はエリソン医学財団のエージングプログラム最高評議会の支援で、ショウジョウバエの加齢と遺伝子について研究しました。彼が夜、研究室で仕事していない時は(彼は自分のことを体内時計異常者だと思っていました)、ウシの乳房か睾丸の昼食をブンゼンバーナーで温めていたり、オープンロックされたドアをこじ開けたり、プラスチックの目玉のキーホルダーをもて遊ぶ姿を見ることができたでしょう。

 ベンザ―は2007年11月に、脳卒中により86歳で亡くなりました。

factoid Did you know ?

リンゴの“ゴールデンデリシャス”はどれも、1株の“レッドデリシャス”というリンゴの木の変異した枝に由来しています。

Hmmm...

がんの原因となる化学物質の90%は変異原性物質でもあります。これらの化合物はどのようにしてがんを引き起こすと思いますか?