生命科学講座第2シリーズ第1回(補足1)

生物の進化と多様性をたどる

 生物とは、基本的にはエネルギー変換を行い自己複製を行う化学システムであり、さらに細胞、個体、集団といった上位の階層を形成する大きな一群と考えることができます。しかし、生物の自己複製能力が誤りの無い完全無可欠な複製を行う完璧なものであったとすると、地球には画一的な生命体のみが存在したことになり、おそらく隕石の衝突や全球凍結のような地球に起きた大規模な変動を我々の御先祖様達は生き延びることはできなかったでしょう。教科書には、遺伝情報の物質的実体はDNAで、その二重らせん構造をもとに正確なコピーが作られるとの記載があると思います。放射線や化学物質などの影響で分子構造に損傷を受けても元の構造が完璧に復元されれば、遺伝情報も完全に保存されることになります。DNAこそありませんでしたが、19世紀ま半ばまでの生物観はこのようなもので、ありとあらゆる生物は一斉に作られたと信じられていたのです。こうした世界観を一変させたのがダーウィンの「種の起源」でした。生物は長い時間を掛けて変化と選択、つまり出現と絶滅とを繰り返しながら進化し、生き延びたものが多様な生物種からなる生命系を形成してきたのです。それでは、生物の持つ遺伝情報の複製と進化・多様性の獲得とはどのような関係があるのでしょうか。DNAの分子構造を元にこの謎を解こうとしているのが、1990年代から飛躍的な進歩を遂げた現代の生物学者達です。

 1970年代の後半から、【バイオ】と短略的によばれることもあるライフサイエンス研究の基盤となる革新的な技術が相次いで開発されてきました。今では、細胞から個体のあたりまでは分子の言葉で語ることができるようになっています。こうした革新的技術のなかから独断で代表的な3つを紹介すると、(1)DNA分子を塩基配列特異的に切断する制限酵素の発見とゲノムDNAのハンドリング技術の進展。(2)化学、生化学、高分子物理学の融合によるDNAの塩基配列技術の開発。(3)コンピュータを用いた核酸塩基配列のデータベース化と大規模高速情報処理の実現で、特に(2)と(3)については、現在に至るまで技術的進展と研究基盤の整備が進んでおり、例えば新型コロナウイルスワクチンの開発が短時間の内に可能になするなど、私たちの実生活にも大いに役に立っています。

 1940年代には染色体の中味を知ることは遺伝学者の夢のまた夢であったでしょう。
 1970年代までは、遺伝情報の構造的実体であるDNAと遺伝子の構造と機能について分子レベルで理解することが、分子生物学者の希望であり期待であったといえますが、これらの技術革新は分子構造を基に機能を直接的に語る事を可能にしてくれました。化学的実体としてのDNA分子を対象とする研究:遺伝情報の総体であるゲノムを対象とする解析研究が現実のものとなったのです。
 1980年代初頭には、B型肝炎ウイルスのような小型のウイルスのゲノム構造が(どちらかというと力業で)解読されていましたが、ヒトのような大型のゲノムを持つ生物のゲノム研究が実用レベルで可能になったのは、比較的最近のことです。
 1990年代にゲノム研究が具体化した当初は、技術開発と基盤整備を並行させながら進める必要性のあったことと一定の資金を必要としたため、多くは国際連携による共同プロジェクトとして進められました。ヒトゲノムについては、日本も含め世界の6カ国、20以上の研究機関が参加した国際プロジェクトでした。その後もゲノム研究の対象は拡大を続けており、生物学や人類学といった基礎的な分野から、医学、農学、薬学、工学といった人の生活に直結する分野に至るまで、欠くべからざる研究の基礎となっています。

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