テーマ 20DNAのはしごは全体をコピーするための鋳型となります

マシュー・メセルソン フランクリン・スタール アーサー・コーンバーグ マシュー・メセルソンフランクリン・スタールは密度勾配遠心法を発明し、それをDNAが半保存的に複製されることの証明に使いました。アーサー・コーンバーグはDNA合成酵素Iを単離しました。これはDNAを複製できる酵素のうちのひとつです。

アーサー・コーンバーグ(1918-2007)


アーサー・コーンバーグ

 アーサー・コーンバーグは、ニューヨークのブルックリンで生まれました。両親は東ヨーロッパからの移民で、どちらも正式な教育は受けていませんでした。コーンバーグの父親はニューヨークの低賃金で悪条件の工場で働いて家族を支えていました。後に、彼は妻と小さな金物屋を開きました。コーンバーグの両親は、教育は非常に大事だと考えて、子どもたちを学校に行くよう勧めました。

 コーンバーグは優れた生徒でした。あまりに優秀だったので、彼は3年早く高校を卒業しました。1937年、19歳で彼はニューヨーク市立大学から学士号を授与されました。それから彼は、医学を学ぶためにロチェスター大学に進みました。

 彼の最初の研究経験は、1942年の黄疸に関する医学研究でした。コーンバーグ自身、軽度の黄疸に罹っていました。ストロング記念病院でインターンとして働いていた時、彼は軽度と重度の黄疸の発生と症状の違いに興味を持つようになりました。発表された彼の医学研究は、米国国立衛生研究所[NIH] の所長のローラ・ダイアーの目に留まりました。ダイアーはコーンバーグにNIHでの研究職を与えました。1942年から1953年まで、コーンバーグはアメリカ公衆衛生局の士官となり、最終的には沿岸警備隊の大尉になりました。

 NIHでの義務のひとつとして、コーンバーグは第二次世界大戦中、船医として旅をしました。しかし、彼は主に栄養と代謝反応に関する研究に携わりました。1947年から1953年まで、彼はNIHの酵素学と代謝学の部長を勤めながら、多くの大学で研究員として働きました。

 1953年に、コーンバーグはワシントン大学セント・ルイス校医学部の微生物学部長に任命されました。そこで、彼はDNA合成酵素Iを単離し、生命(DNA)は試験管の中で作ることができることを示したのでした。1959年、コーンバーグは、セベロ・オチョアと共に、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。コーンバーグは酵素によるDNAの合成を、オチョアは酵素によるRNAの合成を示した業績に対しての受賞でした。

 1959年に、コーンバーグはスタンフォード大学の生化学部長に、そして研究室で研究活動をする名誉教授になりました。何年もかけて、コーンバーグは代謝反応に使われる100以上の酵素を単離同定しました。

 コーンバーグは教えることを楽しみ、DNA複製についての教科書や、また自身の科学者としての経験についての自伝、“For the Love of Enzymes[酵素に恋して]”を著しました。彼は、科学を“創造活動”と“芸術形式”のひとつとみなしていて、大きな満足と喜びを、研究を通して得ていました。科学はコーンバーグ家に伝播しました。コーンバーグの妻、シルビーは研究員でコーンバーグの研究室で働いていました。コーンバーグの息子のロジャーとトーマスもまた研究者で、トーマスはDNA合成酵素IIIを単離しました。

factoid Did you know ?

マシュー・メセルソンは、ベトナムで生物製剤が使用されたかどうかを調査した科学者のひとりでした。アメリカ政府は彼に生物兵器だったかもしれないものの残存物の分析を依頼しました。そのサンプルは蜂が集めた花粉であることが分かりました。

Hmmm...

最初、メセルソンとスタールは密度勾配遠心の実験にファージのDNAを使いました。ファージのDNAでは遠心チューブでバンドがうまく出ず、解釈できない結果が出ました。なぜこうなったのでしょうか?