テーマ 20DNAのはしごは全体をコピーするための鋳型となります

マシュー・メセルソン フランクリン・スタール アーサー・コーンバーグ マシュー・メセルソンフランクリン・スタールは密度勾配遠心法を発明し、それをDNAが半保存的に複製されることの証明に使いました。アーサー・コーンバーグはDNA合成酵素Iを単離しました。これはDNAを複製できる酵素のうちのひとつです。

フランクリン・ウィリアム・スタール(1929-)


フランクリン・スタール

 フランクリン・スタールはボストンに生まれました。彼はハーバード大学で1951年に学士号を得ました。スタールはそれからロックフェラー大学の大学院に進みました。

 博士号を取るまでの間に、スタールはウッズホール海洋生物学研究所での分子生物学のコースに参加しました。このコースはジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが教えていて、ここで、スタールはマシュー・メセルソンと出会ったのでした。彼らが言うには、コースの休憩時間に、メセルソンは、大きな木の陰に腰かけて、ジン・トニックを飲みながら売っているスタールに自己紹介しました。当時、メセルソンはカリフォルニア工科大学の大学院生で、新しい実験方法の開発に興味を持っていました。メセルソンがこれらの実験のデザインをするのに役立つ経験と数学の知識をスタールは持っていました。2人はすぐに意気投合し、スタールがカリフォルニア工科大学で博士研究員の仕事ができるようにしました。

 1957年、スタールとメセルソンは密度勾配遠心法を開発し、それにより、ワトソンとクリックが1953年の論文で予測した通り、DNAは半保存的に複製されることを証明しました。メセルソンとスタールの論文は1958年に世に出ました。

 1959年、スタールはオレゴン大学の職を受け入れました。今でも彼はオレゴン大学の分子生物学の特別名誉教授です。彼は遺伝的組換えのメカニズムについての研究に関心を持ち続けています。

factoid Did you know ?

マシュー・メセルソンは、ベトナムで生物製剤が使用されたかどうかを調査した科学者のひとりでした。アメリカ政府は彼に生物兵器だったかもしれないものの残存物の分析を依頼しました。そのサンプルは蜂が集めた花粉であることが分かりました。

Hmmm...

最初、メセルソンとスタールは密度勾配遠心の実験にファージのDNAを使いました。ファージのDNAでは遠心チューブでバンドがうまく出ず、解釈できない結果が出ました。なぜこうなったのでしょうか?