テーマ 39ゲノムは遺伝子の全ての集まりです

クレイグ・ヴェンター フランシス・コリンズ クレイグ・ヴェンターフランシス・コリンズは、民間および連邦政府のヒトゲノムプロジェクトの取り組みを代表しています。

ジョン・クレイグ・ヴェンター(1946-)


クレイグ・ヴェンター

 J. クレイグ・ヴェンターは、予想外に、ゲノム研究者で一杯になった部屋で、「どうもありがとう、あなたがたは、今すぐに止めることができますよ、なぜなら、私の会社が、その仕事をすぐに終わらせますので」と公表して、ヒトゲノムの配列解析競争を始めました。彼に好意がある人は、彼は「自分の考えをふるいにかけたりせず、よく考えずに衝動的に行動する」と言います。社交辞令に欠けた人は、彼を「自己中心的で、うぬぼれていて、間抜けで浅はかな男」と言います。

 ジョン・クレイグ・ヴェンターは、1946年10月14日、[ユタ州]ソルトレイク・シティに生まれました。お酒を飲み過ぎ、タバコを吸い過ぎて59歳で亡くなった、モルモンを破門された男の一番下の息子でした。家族は、サンフランシスコの南にある労働者階級の住宅地に移り、線路の横にある家に住んでいました。ヴェンターは、電車で度胸試しをしたり、ハーフ・ムーン湾のそばの冷たい波で、サーフィンを楽しみました。

 高校では、ヴェンターは、職業訓練課程の授業に優れていました。卒業後、彼は、より暖かい波でサーフィンするために、ニューポートビーチに移り、そして、ベトナム戦争の間は海軍に入隊しました。高校の成績に比べて高い知能を持つことに気づいた海軍は、ヴェンターを医療衛生兵として育てて、[ベトナムの]ダナン病院に送り込みました。

 「私は、テト攻勢の間、そこにいました。」と、彼は言いました。「私は、おそらく最もつらい方法で医療を経験しました。私は、自分たちの知識の欠如に心を奪われて、もっと何かをしたいと熱望しました。」

 命令に従わずに営倉の中にいた2回の期間を含む旅が終わると、ヴェンターは、医者になるために、カリフォルニア大学サンディエゴ校に行きました。彼は、ゴードン・サトウの授業とネイサン・O・カプランのプロジェクトで、進路を変更しました。「私は科学に大変魅了されました。」「私は、医学部なんてどうでもいいと決心しました。」と、彼は言いました。

 ヴェンターは、6年間で大学と大学院をスイスイ進み、ニューヨーク州立大学バッファロー校で働き、1984年には、 NIH[米国立衛生研究所] に招集されました。

 1990年代の初め、ヴェンターは遺伝子探索のためにEST法を開発し、ちょうど始まったばかりのヒトゲノムプロジェクトより安くて速いと宣伝しました。プロジェクトの担当者は反対しましたが、そうこうしているうちに、NIHは、ヴェンターの遺伝子断片の特許権を取ることを決めました。特許庁は、最終的に特許を受け付けず、その特許出願がきっかけとなって、その機能がまだ分からない遺伝子の特許取得について、国際的な議論が起こりました。ヒトゲノムプロジェクトの指導者、ジェームズ・ワトソンは特許取得に反対し、[NIHを]辞めました。ヴェンターは、彼自身の非営利の研究所であるゲノム科学研究所(現:J. クレイグ・ヴェンター研究所)(TIGR)を創るために、NIHを離れました。

 ヴェンターはTIGRでESTの研究を続けましたが、ゲノム全体の配列を解析することも考え始めました。彼はより簡単で速い方法:全ゲノムショットガン配列解析法を発明しました。彼はこの方法をインフルエンザ菌( Hemophilus influenza)に用いることについて、NIHの助成金を申請しましたが、そのプロジェクト自体は、資金提供の決定が知らされる前に始まりました。そのゲノムの解読がほぼ終わりかけのときに、NIHは、その方法はうまく動かないだろうと言って、彼の申し出を拒否しました。

 焦点をヒトゲノムに変えたとき、ヴェンターはTIGRを離れ、最新型で最高の配列解析機器を作製する会社、アプライド・バイオシステムズ(現:Thermo Fisher Scientific)の一部門として営利企業のセレラ(現:Quest Diagnostics子会社)を設立しました。アプライドの機器を用いて、また世界最大の民間のスーパーコンピューターを用いて、ヴェンターはたった3年でヒトゲノムの解読を終わらせました。2006年には、TIGRも含めたいくつかの彼の組織を集めて、J. クレイグ・ヴェンター研究所(JCVI)を設立しました。

 ヴェンターは2008年に米国科学栄誉賞を授かり、カリフォルニア州サンディエゴに、彼の妻ヘザーと一緒に住んでいます。

factoid Did you know ?

2000年6月に行われたTIME/CNNの投票では、41%のアメリカ人が、“ゲノム地図を作る技術の開発は、道徳的に間違っている”という声明に賛成しています。

Hmmm...

あなたは、誰もが、地図づくりとはどういうことかを知っていると思いますか?なぜ、これほど多くの人が、それが道徳的に間違っていると、信じているのでしょうか?