テーマ 31タンパク質を指定しないDNAがあります

ロイ・ブリテンロイ・ブリテンは、反復配列とその進化的起源についての研究で、以降の研究に大きな影響を与えました。

ロイ・ジョン・ブリテン(1919-2012)

 ロイ・ブリテンは、ワシントンDCで生まれました。彼の母親は米国学術研究会議で働いていて、父親は統計学者でした。ブリテンは、早くから科学に触れる機会がありました。成長すると、ブリテンは兄弟たちと地下の化学研究室を共有しました。彼は、全米アカデミーズビルにあるロトンダ[円形の天井と窓のあるドーム状の建物]をよく訪れて、フーコーの振り子と太陽黒点について学びました。

 1940年代に、彼はバージニア大学に行き、物理学を学びました。それから間もなく、彼はマンハッタン計画に参加しました。彼は、1946年まで大学には戻りませんでした。彼は、プリンストン大学に進み、核物理学で学士の学位を取得しました。

 理学博士の学位を取った1951年、ブリテンは、核物理学の世界は変わったと判断しました。彼は、ワシントンのカーネギー研究所の地磁気部門で、生物物理の博士研究員をすることにしました。彼は、コールド・スプリング・ハーバー研究所でファージの授業を取って、生物学の研鑽に励むとともに、カーネギーのグループとDNAハイブリダイゼーションの速度論の研究を始めました。この研究を通して、彼は、真核生物のゲノムは、多くの反復した非コードDNA配列を含んでいることを明らかにしました。

 この研究の後、ブリテンは進化生物学、特に反復配列の性質、起源と進化の過程に興味を持つようになりました。彼は、Aluのようなヒトの反復DNA配列の研究や、ゲノム解読計画に含まれていたウニの反復配列の研究を行いました。彼は、ヒトゲノム解析計画で得られた配列から、他の反復配列についても調べました。

 1970年、ブリテンはカリフォルニア工科大学に移り、そこで退職するまで研究を続けました。彼は遺伝子調節研究グループの一員であり、殊勲カーネギーシニア名誉研究員でした。彼は、カリフォルニア大学アーバイン校の兼任教授でもありました。彼は、トランスポゾンの重要性を含めた、ヒトと類人猿の間の進化についてのDNA配列構造の研究を続けました。

 ブリテンは、科学の他にも多くの趣味と興味を持っていました。彼は長期の航海をし、フルートの音楽家でもありました。ブリテンは、”水彩画はとても難しいので、油絵”を描きます。そして時代に遅れず、コンピューターアートも手がけました。そして彼は、SF小説も書きました。

factoid Did you know ?

反復配列は、“meiotic drive[減数分裂分離ひずみ]”と呼ばれる現象にも関わるかもしれません。ショウジョウバエでは、一対の染色体のペアの一方が“選択”されて、卵になります。この選択に関しては、反復DNA配列の存在が、何らかの関係を持っているかもしれません。 [訳注:“meiotic drive”とは、減数分裂の際に,相同染色体の間で不平等な分離が生じることによって、集団の遺伝的構成に変化が起こることを言います。]

Hmmm...

反復配列の存在と維持機構について、整合性のある理論を考えてみましょう。