テーマ 19DNA分子はねじれたはしごのような形をしています

ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが、どのようにしてDNAの構造を明らかにしたのかを説明します。エルウィン・シャルガフは、4つの塩基の割合をどのようにして測定したかを説明します。.

私はジェームズ・ワトソンです。私はフランシス・クリックです。 1953 年、フランシスと私は DNA 分子の最初の正確なモデルを発表しました。 私たちは DNA - 生物の遺伝をつかさどる分子に興味をもっていました。 私たちは DNA についての化学的な知識に基づきながら、DNAの実際の構造を決定しました。 たとえば、フィーバス・レヴィーンは、DNA の個々のヌクレオチド・ブロックは、以下のようにしてできていることを示しました。リン酸がデオキシリボ糖に結合し、デオキシリボ糖は次に4種類の窒素含有塩基 ? アデニン (A)、チミン (T)、グアニン (G) とシトシン (C)のうちの1つと結合しています。 ヌクレオチドは連続してつながっています。あるリン酸から次の糖に、次のリン酸に、さらに次へと。 レヴィーンは正しい化学結合を予測していたにもかかわらず、彼の4ヌクレオチド説は間違っていました。もし決まった反復配列をもっていたら、 DNA は情報を運ぶのに十分合理的だとは言えないでしょう。オズワルド・アベリーの画期的な論文により、私たちはDNA が合理的でなければならないことを知ったのです。 実際、ヌクレオチドの並ぶ順番が変わった方が、理にかなっています。情報はそのようにして DNAの配列にコード化されます。タンパク質ではなく DNAが、生命の真の秘密を解くロゼッタストーンなのです。 私はエルヴィン・シャガフです。私も DNAには単なる4ヌクレオチドのかたまりの繰り返し以上のものがなければならないと考えていました。 私はいろいろな生物から DNA を単離しました。そして4種の窒素塩基のそれぞれについての量を測定しました。これが私の結果です。 ほらね、アデニンの量はチミンの量ととても似ています。 そしてグアニンの量はシトシンの量とちょうど同じです。 もしレヴィーンの4ヌクレオチド説が正しかったら、そしたら、A,T,G,そして C の含量はすべての生物の DNAで同じになるでしょう。明らかにそうではありませんでした。 その代わりに、ヌクレオチドは、A と T がほとんど同じ量に、G と C がほとんど同じ量になるように並んでいなくてはなりません。しかし、私は、この人目を引く、でもたぶん無意味な規則について説明がすることができませんでした。 後でわかるように、シャガフの塩基の比率はDNA の構造についての私たちの研究に重要な手がかりを与えました。 ちょうど同じころ、カリフォルニア工科大学のライナス・ポーリングは、化学の知識と X線結晶回折という強力で新しい技術を使って、多くのタンパク質に見られるコルク栓抜きのような構造を発見しました。アルファ・へリックスです。 フランシスと私は DNA の構造を解くために、化学と X線回折パターンを使うポーリングの方法に倣いました。 X線回折パターンは分子の形と構造について多くの情報を与えてくれます。一連のX線が結晶化された物質に放射されると、原子に衝突したときに X線の一部は回折するか散乱します。散乱した X線は、次に互いに干渉し、異なる強度の点を作ります。これらを写真のフィルムに記録することができます。 結果として生じる回折パターンは、分子のユニークな“署名”なのです。 当時、DNAは結晶化できませんでした。しかし、私たちは2つの異なるタイプの DNA 繊維を手に入れることができました。これらの2つの繊維から、2つの区別できる異なる回折パターンが得られました。 ロザリンド・フランクリンとモーリス・ウィルキンスがこれらのDNA X線回折パターンを作りだしました。 私はこの形の DNAからの X 線データに集中しました。おわかりになるように、この上には非常に多くの点、つまり、多くの情報があったのです。私はDNA 分子の基本的な物理特性を計算することができました。 ロザリンドが別の X線結晶画像に取り組んでいる一方、フランシスはすぐに、この X 線パターンの単純な対称性に強く惹かれました。 私にとって、必要なすべての情報は、この X 線パターンにあることははっきりしていました。 この X 線写真の特徴的な”X”は、らせんの明確なパターンです。 この X線パターンはとても規則的でしたから、らせんの特性もまた一貫性があるに違いありませんでした。たとえば、らせんの直径は一定に保たれていました。 X線回折パターンでは、点が近いほど、(原子間の)実際の距離は離れています。水平な線は実際にらせんの回転に対応していました。その線の間の垂直な距離 ? 34 オングストロームでした ? は、らせんの1回転分の高さを表していました。 X線パターンの中央から一番上までの距離は 3.4 オングストロームと測定できました。これは上下に並んだ2つの塩基対の間の距離に当たります。 らせんの繰り返し単位の高さが 34 オングストロームであり、上下に並んだ2つの塩基対の間の距離が 3.4オングストロームであるとわかったので、 らせんの繰り返し単位あたり、10 塩基対が存在するに違いありません。 らせんのピッチ、もしくは上昇する角度は、”X”が水平軸となす角度から計算できます。 らせんを伸縮させると、らせんのピッチがどのように X 線パターンに関係するかわかるでしょう。 X線回折パターンから、私は DNA は外側にリン酸、内側に塩基を配置した2重らせんであると推定しました。フランクリンとウィルキンスの計測kから、私たちはらせんの物性を知りました。 ジムと私は DNA についてわかったことのすべてを1つの正確なモデルに当てはめようと躍起になっていました。らせんはどのように互いに並列しているのでしょう?窒素塩基はどのように配置されているのでしょう? DNA の構造を解くのは競争でした。ライナス・ポーリングはタンパク質注のアルファ・へリックスの構造を解いた後、DNA の構造に興味をもっていました。私たちがちょうど4分子 DNA構造モデルを作り始めた時、ポーリングが DNA の構造についての論文を発表したと聞きました。私たちはびりびりしながら、彼の図解を待ちました。それは3重らせんでした。 だれもがこのモデルが正しい筈がないという点で一致しました。ポーリングは、それぞれのらせんの表に窒素塩基を出し、中にリン酸を配置しました。そのようならせんが3本より合わさって1分子の DNA を形成していました。 ポーリングはそれぞれのリン酸にある酸素原子が負に荷電しているのを忘れていました。これらの電荷が真ん中で向き合って、しかも互いに積み重なれば、互いに反発しあうでしょう。まとまって分子を形成することはできません。 ほとんど信じられないことですが、化学結合について本を書いた人間が間違った思い込みをしたのです。 ライナスの間違いにより、私たちはなお一層熱心に働くようになりました。ライナスは間違いを正すために、努力を倍にして取り組むだろうと確信していたからです。ある日、彼の論文が出版されてからしばらくしたころ、私は紙から切り抜いた窒素塩基をつかって遊び始めました。 私はヌクレオチドが対をつくり、”水素結合”とよばれる弱い結合を形成できることを知っていました。リン酸、糖そして塩基を結びつけてヌクレオチドにする、強い”共有”結合とちがい、水素結合は窒素または酸素が水素原子を共有するときにできます。私は、水素結合ができるように、色々なヌクレオチドの対をつくり始めました。 私は異なる水素結合の幅を比べました。対のいくつかは明らかに違った幅をもっていました。もしこれらの対が本当に DNA らせんに存在するのなら、らせんは不均一になり、内外に膨らみができるでしょう。 洞察力と幸運の両方に恵まれた瞬間でした。アデニンはチミンの近くにあって対をなし、グアニンはシトシンと近くで対をなすことに気がつきました。そのうえ、 A/T 塩基対の幅は G/C 塩基対の幅とほぼ同じでした。 この“塩基対”は、シャガフの比率とも合致しました。また、塩基をきっちりと上下に並べることもできました。 グアニンはシトシンと3本の水素結合でつながっています。アデニンはチミジンと2本の水素結合でつながっています。 私は、塩基が対をつくることが DNA 構造の鍵となることを確信しました。フランシスも同意しました。彼はまた、塩基対の結合角がある値になっていること、塩基対が近接して存在していることから、2本のらせんは反対の方向に伸びていないといけないと指摘しました。らせんは互いに逆平行な関係にあります。 機械工場からもらった金属のスクラップをつかって、フランシスと私は DNA の3次構造のモデルを作り上げました。こののっぽのモデルはすでに私のA/T と G/C 塩基対として知られていたものとフランシスの逆平行らせんのアイデアを具体的に示していました。 すべてが美しくぴったりと収まりました。私たちのモデルを見て、だれもが - モーリスとロザリンドも含めて - 私たちが正しい DNA の構造を得たのだと認めました。 そう、DNAは、ねじれたはしごのようなものです。糖とリン酸が手すりで、塩基対が段になっています。手すりは互いに反対の方向に伸びています。 ヌクレオチドの段は互いに相補的です。Aが片方にある場合は必ず、もう片方の同じ位置には Tがきます。 同様に、Gが片方にある場合は必ず、もう片方の同じ位置には Cがきます。 フランシスと私は、自分たちの美しいモデルにとても興奮したので、急いで結果を書きあげ、単語数が900の論文を科学雑誌の Nature に投稿しました。 論文の中で、私たちは結論しました。私たちが仮定した特異的な対合から、遺伝装置として考えられる複写のメカニズムを、すぐに推論できることを見逃しませんでした。モーリスとロザリンドは彼らの発見を、私たちにつづく別々の論文に発表しました。

factoid Did you know ?

1952 年にケンブリッジを訪れた間に、エルヴィン・シャルガフはワトソンとクリックに会いました。シャルガフはこの2人組に興味を持ちませんでした。とくにクリックが窒素塩基の化学構造を知らないことを認めた後には。

Hmmm...

ワトソンとクリックは 1953年の論文の最後に、彼らの DNA らせんモデルの塩基の対合から、”遺伝装置として考えられる複写のメカニズムが推定できる”と書いています。どのようなメカニズムでしょうか?