テーマ 41DNAはヒトゲノムを理解するための始まりにすぎません

マリオ・カベッキ ブライアン・サウアー マリオ・カペッキは、相同組換えを用いてマウスで、遺伝子を狙って変異を起こす技術を開発しました。ブライアン・サウアーは、遺伝子を欠損させるためにファージのCre/lox組換えシステムを哺乳類に適応しました。

ブライアン・サウアー(1949-)


ブライアン・サウアー

 ブライアン・サウアーは科学への関心から危うく逮捕されかけた数少ない科学者のひとりかもしれません。サウアー(“酸っぱい”と同じ発音)は、ハレー彗星を見るために暗闇の中、近くにある、人の住んでいない住宅団地に望遠鏡を設置しました。点在する家々が、空き家のように見えたからです。しかし老女が彼に気づき、州警察を呼びました。サウアーが彗星の拡大像を警官に見せたので、留置所で夜をすごすことは避けられました。

 ウィスコンシン州マディソンの北にある、家族の所有する酪農場で育ったので、サウアーの最初の科学的な興味は、天文学でした。彼は厚紙から最初の望遠鏡を作り、それに4個のレンズをはめ込みました。「私は田舎で育った、そして、空はいつも暗かった。」と彼は言います。「学校で、私は、天文物理学者になるつもりだと言っていました。」

 学校生活の最初の5年間、サウアーは1年生から8年生の生徒が、一緒にひとつの教室で学ぶ学校に通っていました。彼は、覚えています。「毎年12月に学校劇がありました。先生は担当部分を教えるのに忙しすぎて、ほとんど授業がありませんでした。」リハーサルの間の時間をつぶすために、サウアーは年長の生徒とポーカーをしていました。

 望遠鏡以外にも、サウアーは短波ラジオを組み立てて、カナダの放送局を聞いていました。「しかし、ウィスコンシンに住んでいると、そのことはたいした挑戦ではありません。」と、彼は認めています。範囲を広げて、ヨーロッパの放送局を引き入れること(聞くこと)をなんとか成し遂げました。そして、ヨーロッパの放送局が、アメリカ合衆国に向けて英語で発信する番組を聞きました。その経験から、ナチスが第二次世界大戦中に連合軍に向けて放送した宣伝について、学校のエッセイを書きました。

 学校の休み時間には、サウアーは他の男子と野球をしました。(天文物理学者の前には、サウアーはメジャーリーグの投手になりたいと思っていました。彼はいまだに、ミルウォーキー・ブルワーズ(野球チーム名)の故ウォーレン・スパーンは、最高の選手の一人だと考えています。)彼らの野球場は、流れの速い川に隣接していました。そのため、左側のファールボールは水の中に着水しました。彼らは、たったひとつのボールで遊んでいましたので、サウアーやチームメイトは「川ボール!」と大声で叫び、誰もが、そのボールを探すために川に向かって走りました。「ボールが陸橋の下を流れる前に、ボールを取らなければならなかった。」とサウアーは言います。「なぜなら、もしボールがそこを通り越して流れていったら、永遠に失われてしまうからだ。」

 高校卒業後、1967年にサウアーは、ウィスコンシン大学で物理の勉強を始めましたが、それは退屈だと分かったので、数学に転向しました。上級学年になったある日、彼が住んでいた部屋の大きな黒板で、数学の問題を解いていたと頃、彼のクラスメイトが入ってきて、DNAの構造のスケッチを始めました。その分子に興味をそそられて、サウアーは数学の学位を取得して卒業した後、マディソンの研究室に働きに行きました。

 「私は、なんらかの生物学をすることに興味を持っている数学者でした。生物学について最も興味深いことは、私のものの見方によれば、遺伝学でした。」とサウアーは回想します。そのことを心に留めながら、サウアーは1973年に、カルフォルニア大学バークレー校の大学院に入りました。ほとんどのウイルス学者はその当時、ラムダファージを研究していたので、彼は、“その他の”ファージと呼んでいるP2ファージの研究をしました。サウアーが口頭発表をする会議に旅行した時には、10人かそこらの二日酔いの科学者だけが、彼の発表を聞いていました。なぜなら、“その他の”ファージのセッションは、いつも日曜日の朝に予定が入れられていたからです。

 スタンフォード大学での博士研究員と米国がん研究所 [NCI] での職を経て、1984年にサウアーは、彼のNCIの上司と共にデュポンに入社しました。彼の同僚は、P1ファージのCre/lox組換え酵素システムに関する生化学の仕事をしていました。その生化学は単純だったので、彼は、それが真核生物の細胞でも働くと考えました。サウアーは、隣にいた酵母の専門家の頭脳をかすめ取って、ゆっくりとした組換えが期待されている酵母の中に、そのシステムを入れました。「Creは、大変効率的に働くことが分かった。」とサウアーは言っています。そのシステムがマウスの細胞でも働いたときに「ショウジョウバエで50年前にできたことが、哺乳類細胞で、今できるようになった」と気がつきました。

 1998年にサウアーは、発生生物学研究プログラムと遺伝子欠損マウスの施設を運営するオクラホマ医学研究財団に移りました。彼はその後、遺伝学エンジニアリングコンサルタント会社に移る前には、ストワーズ研究所のトランスジェニック技術のディレクターになりました。彼の研究は、マウスゲノムのより正確な再設計に、この知見を適用するという究極のゴールに向かって、DNAの組換えの機構を解き明かすことも試みています。

factoid Did you know ?

マリオ・カペッキは仕事の鬼だと、言われています。彼はしばしば、一日中休み無しで胚を集めたり、[胚に]注射したりする仕事をしています。

Hmmm...

形質転換したES細胞が胚盤胞に注入されると、 ES細胞は発生中の胚の中に取り込まれます。どのように?