テーマ 36細胞ごとにさまざまな遺伝子が活性化されます

イゴール・ダヴィド トム・サージェント パット・ブラウン スティーブ・フォダー イゴール・ダヴィドトム・サージェントは、cDNAサブトラクション法を用いて、遺伝子発現変動を解き明かす研究を初めて行いました。パトリック・ブラウンスティーブ・フォダーは、DNAアレイやジーンチップ®を用いて、ゲノムを解析する方法を変えました。

イゴール・ダヴィド(1935-)


イゴール・ダヴィド

 イゴール・ダヴィドは、中央ヨーロッパ、当時のルーマニア、現在はウクライナの一部、に生まれました。彼が高校生の頃には、それほど多くの科学の教科が教えられていなかったため、彼を科学者としてのキャリアへ進めることとなった、決定的な機会はというものは、特にありませんでした。しかし、彼は、科学が興味深く重要な学問であることを認識していました。第二次世界大戦終了後、ダヴィドは、学業のためウィーンへ移り住みました。

 ウィーン大学に、生化学のカリキュラムが無く、生物学か化学のどちらか一方を選択せざるを得なかったため、ダヴィドは、化学を専攻しました。彼は、1960年に化学博士号を修得し、その後の科学者としてのキャリアのために、米国で研究する必要があると考えました。そして、博士課程のアドバイザーの援助で、彼はマサチューセッツ工科大学に博士研究員の職を得ることができました。そこで、彼は、生化学への興味を膨らませていったのです。彼は、培養組織の運命を変化させる“因子”の同定について書かれている雑誌の論文を読みました。その論文は、数か月後には、取り下げられてしまいましたが、ダヴィドは興味がそそられ、組織に特異的な遺伝子の研究で、当時、名高かったウッズホール研究所へ行くことを決意しました。

 ウッズホールでダヴィドは、ジェームズ・エバート、当時のカーネギー研究所所長、後のウッズホール研究所所長、に会いました。エバートは、ダヴィドにカーネギー研究所で働くことを勧め、1962年にダヴィドは研究員となり、ドン・ブラウンと共に働きました。ブラウンは、発生の研究をするために、古典的な発生学者の動物モデルとして、カエルを利用していました。カエルの胚は大く、形態変化を容易に観察できます。また、その発生過程について多くが知られていました。ダヴィドは、カエルをモデルシステムとして利用し、1978年に、彼がNIH[米国国立衛生研究所] へ異動してからも利用し続けました。

 その後、1980年代の初めに、トム・サージェントがダヴィドの研究室にやって来て、カエル胚の発生過程の中で異なる時期に発現しているmRNAを分離するという、サージェントの考えに基づいた研究を始めました。サブトラクティブmRNA技術は、多くの発生時期特異的なmRNAを分離しただけでなく、異なる遺伝子ライブラリー間での、各発生時期のmRNAの混在が非常に少なく、驚くほどうまくいきました。

 1982年以降、ダヴィドは米国立小児保健発育研究所[NICHD]の分子遺伝学研究部・部長を、うち2年間は、科学ディレクター代理を勤めました。分子遺伝学部門の研究室では、カエルとゼブラフィッシュにおける、遺伝子発現変動の解析を行いました。

 ダヴィドは、“Developmental Biology[発生生物学]”や“Proceedings of the National Academy [米国アカデミー紀要]”という科学雑誌の編集長および顧問委員で、2008年には、発生生物学会の生涯功績賞を受賞しています。また、彼は、“Cell”や“Genes and Development[遺伝子と発生]”という科学雑誌の共同編集者です。彼はクラッシック音楽を楽しみ、オペラの熱狂的なファンです。

factoid Did you know ?

ジーンチップ®技術は、1塩基の変異を検出できるほど高精度ですが、そのためには、ハイブリダイゼーションの条件が最適化されていなければなりません。

Hmmm...

A-Tペアの間には2つの水素結合が存在し、G-Cペアの間には3つの水素結合が存在します。これは、ジーンチップ上での、サンプルのハイブリダイゼーションにどのような影響を及ぼすのでしょうか?