テーマ 35DNAは細胞外からの刺激に応答します

ジェームズ・ダーネル ジェームズ・ダーネルは、化学的なシグナルが、どうやって真核生物の遺伝子発現をオンやオフにしているのかについて、研究していました。

ジェームズ・E・ダーネル Jr.(1930-)

ジェームズ・ダーネル

 ジェームス(ジム)・ダーネルは、1930年9月9日、ミシシッピ州コロンバスの国境に近い、貧しい地域で生まれました。栄養士の母親の下、地域から抜け出す方法として、幼い頃から医学を志しました。ミシシッピ大学で3年間学んだ後、医学部入学の資金を得るために、空軍基地で9ヶ月働き、1951年、医学部での勉強をワシントン大学セントルイス校で始めました。

 1940年代から50年代は、科学のニュースが、今ほど広く報告されていなかったので、医学部の実験室での仕事が、科学との最初の接触でした。彼は、微生物学に引きつけられました。微生物学は、研究者がそれぞれの問題を、ある程度コントロールしていた科目でした。最初の実験で、彼は、マウスに連鎖球菌の菌株を感染させようとしましたが、なかなかうまくいきませんでした[訳注:ヒトに病気を起こさせる連鎖球菌はマウスに感染しません]。感染実験をウサギで行うことで克服し、その成果を最初の論文にしました。当時、連鎖球菌の感染は、心疾患を引き起こすとされていたのですが、ペニシリンの発見により、以後、見かけることはなくなりました。

 医師となった後、1年のインターン生活を経て、ダーネルはNIH[米国国立衛生研究所]のハリー・イーグルの下で、医学士・研究者の研修プログラムを始めました。イーグルは、ヒトとマウスの細胞の培養法の確立について研究しており、ジムに、動物に感染するウイルスの生化学の研究をさせました。これらのウイルスについて、ほとんどなにも知らなかったのですが、ダーネルにとっては幸運なことに、サルバドール・ルリアの研究室の学部3回生と研究室の作業台を共有していたので、彼らから、ポリオウイルスの研究に必要な全てを学びました。

 パリのフランソワ・ジャコブ研究室への短期留学を経て、ダーネルは、MIT[マサチューセッツ工科大学]アルバート・アインシュタイン医科大学ロックフェラー大学で、mRNAとhnRNA[ヘテロ核RNA]の関係について研究しました。hnRNAは、mRNAの前駆体と考えられており、鍵となる発見があったにもかかわらず、ダーネルは、hnRNAが短く切られて連結されることで、より小さなmRNAになるという可能性には、思い至らなかったと、認めています。

 この頃ダーネルは、動物細胞の中では、どのように遺伝子の発現が調節されているのかという、パリに滞在していた頃からの疑問に立ち返りました。このことが、STATとヤヌスキナーゼ-STAT経路を介した、転写調節の発見へと彼を導きました。2002年に米国科学栄誉賞を受賞し、2004年には、スウェーデン王立科学アカデミーの海外会員に選ばれました。

 余暇は、ジム・ダーネルはテニスに熱心ですが、コールド・スプリング・ハーバー評議会のメンバーであるにもかかわらず、コールド・スプリング・ハーバーで最も有名なテニスプレイヤーであるジム・ワトソンとはこれまで、テニスを共にしたことがありません。また、若い頃はクラリネット奏者でもあり、いまでも音楽鑑賞も楽しんでいます。彼と妻のジェーンの間には、3人の息子がおり、長男は金融関係、次男は科学分野、三男は彼の改革的な志向を受け継いで、公益研究に従事しています。

factoid Did you know ?

ジム・ダーネルの妻のジェーンは、STATの名前をニューヨークへの車中で思いつきました。その単語は、彼女に病院の緊急通信の拡声器を思い出させ、転写活性における分子のスピードを正確に反映しています。

Hmmm...

どうして、多くの分子が細胞核に情報を伝達するのでしょうか?