情報化された遺伝子の進化論とオミック・スペース
〜物質世界での自然淘汰と、情報世界での経済淘汰〜


豊田哲郎((独)理化学研究所ゲノム科学総合研究センター)
現代経済が大きく依存している石油などの“化石資源”は、人類が再生産できない資源であり、その消費は地球環境を急速に悪化させている。このため、再生産が可能である“生物資源”を中心とした経済(バイオ経済)への移行が求められている。
今世紀中には、農場や培養槽が今の油田と変わらないほど重要になり、有用遺伝子から生み出される最先端の材料や燃料が経済活動に欠かせなくなることから、遺伝子が現在の石油の地位を占めるようになるとも予想されている。
遺伝子の本質は情報(DNAにおける4種類の塩基の並び方)であることを考えると、このバイオ経済は、モノからモノを産み出していた工業経済ではなく、情報からモノを産み出す知識集約型経済の到来を意味する。この遺伝子情報を調べる装置(シーケンサー)の解読速度は今も指数関数的に上昇し続けており、これまで数十億円もかかっていたヒトゲノムの解読が10年以内には10万円程度のコストにまで下がるという。その結果、個人を含めあらゆる生物は、まずゲノム解読によって情報に変換されてからその存在が分析され価値判断されるようになる。
情報化された遺伝子は、情報のまま複製され続け、経済的価値を示す情報に基づいて“エリート遺伝子”だけが選び出され(経済淘汰)、必要に応じて物質に合成されて利用される。
生命の情報化がすすみ、エリート遺伝子の獲得競争が企業の間で激化してくると、これまでは生物個体のDNAという“乗り物”だけを使って進化していた“利己的な遺伝子”は、情報化された新しい乗り物(企業活動体の知的財産等)に記録された存在としても、進化と繁栄が確認されるようになるだろう。これは市場競争原理を巧みに利用した遺伝子の新しい進化戦略といえる。
今後の生物学は物質世界だけが研究の対象ではない。バイオ計測の技術革新がもたらした新しい情報世界も含めて「エリート遺伝子の進化論」を再構築し、全体の流れを支配している不動の原理(生命の戦略)を解明していく必要がある。
豊田哲郎「ゲノム解読から生命戦略の解明へ」Bionics Feb. 2007 より抜粋