30周年記念デジタルブック
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52)研究テーマの確定DNA さらに検討を重ねた結果、生命科学の基盤をなすDNAの構造の解析研究を目的とする研究所を設置することが、「かずさアカデミアパーク」の中核施設として最もふさわしいとの結論が得られました。生命科学の基礎となる重要な知見を提供することにより、既存産業の活性化、さらには新しい産業分野の創出に大きな貢献が期待できること、国際的な研究協力の必要性が叫ばれているテーマであり、国際的な研究交流拠点として機能することが期待されることがその理由でした。かずさアカデミアパーク構想 千葉県は、未来に向けた活力ある県土づくりを目標に、昭和58(1983)年6月、県のビッグプロジェクトとして「千葉新産業三角構想」を策定しました。千葉県の内陸部へ幅広く先端技術産業を導入し、工業構造の高度化と均衡のとれた地域構造を実現することを目標としていました。先端技術産業は高度な知識集約、技術集約の産業であり、当時すでに国際経済とも密接な関わりがありました。この観点から、立地には「学術・教育機能」「研究開発機能」「国際的物流機能」が特に重要として、この3つの機能を、新しい幹線道路体系によって三角形に結ばれることとなる核都市の千葉市、成田市、木更津市の地域を中心に集積を図ることになりました。 このため、「幕張新都心構想」、「成田国際空港都市構想」及び「かずさアカデミアパーク構想」を3つの基幹プロジェクトとして推進することになりました。このうち、かずさアカデミアパーク構想(構想初期の名称は「上総新研究開発都市構想」)は、木更津市、君津市にまたがる約1,000へクタールの緑豊かな上総丘陵地に、民間研究所を中心とした研究開発機能の集積を図り、エレクトロニクス、バイオテクノロジー、新素材等の先端技術産業に係る国際的水準の研究拠点を形成しようとするものでした。昭和59(1984)年6月に策定された基本構想においてアカデミアパーク形成の核として今後の主導的研究開発分野を領域とする公的研究機関の導入を図ることとし、千葉県がその導入を推進することになりました。これを具体化するため、かずさアカデミアパークの中核となる研究機関が数次の検討段階を経て決定されてゆきました。研究所の研究領域としては、1. 21世紀における最も重要な研究領域の一つとして国内外に広く認識されていること、2. 研究領域が学問的、業際的に大きな広がりを有していること、3. 産業構造の高度化にも大きな貢献が期待されることを条件とし、多くの分野の中からバイオが選択されました。 かずさアカデミアパーク構想が目指す研究開発機能の拠点形成に当たり、その重点的研究分野の一つとして、将来性のあるバイオテクノロジーの導入・展開について学識経験者の意見を聞くため、昭和60(1985)年6月、知事の私的諮問機関として「上総新研究開発都市バイオテクノロジー懇話会」が設置されました。同懇話会は、昭和62(1987)年3月の千葉県に対する報告のなかで、かずさアカデミアパークの形成に当たってはバイオテクノロジーの総合的な研究開発拠点を目指すことが望ましいとし、その中核となる「バイオテクノロジー総合基礎研究所」の設置推進を提言しました。かずさDNA研究所の誕生1)基本コンセプトの決定 その後の検討で、応用・開発段階のバイオテクノロジー研究は民間企業における研究がきわめて高いレベルで行われていることから、公的な研究機関として魅力あるものにするためには、バイオの基礎的部分を担う生命科学に関する研究所とする必要があるということになり、「バイオテクノロジー総合基礎研究所」は「生命科学研究所」にコンセプト及び名称が改められました。そして、研究内容研究体制等の具体的な研究所づくりについて検討するため、コンセプト決定の際に指導・助言を受けた渡邊格慶應義塾大学名誉教授、利根川進マサチューセッツ工科大学教授等をメンバーとする「上総生命科学研究所設置検討委員会」と、民間企業との連携等を検討するための「上総バイオテクノロジー研究推進委員会」が昭和62(1987)年9月に設置されました。その後、同委員会での検討を踏まえ、昭和63(1988)年5月には「上総生命科学研究所基本構想(案)」が千葉県から公表され、内外に開かれた研究所として研究活動の柔軟性を確保するため、県立施設ではなく、運営主体として財団法人を設立することなどが示されました。研究所設立の経緯

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