高等植物におけるHis-Aspリン酸リレー情報伝達系

 タンパク質のリン酸化を介した細胞内情報伝達は全ての生物に普遍的な基本機構である。この点に関して、生物は進化の過程で「二つの基本モード」を獲得した。「セリン・トレオニン・チロシン残基のリン酸化」と「ヒスチジン・アスパラギン酸残基のリン酸化」である。バクテリアにおいては後者の様式が主流である。事実、この十年間に展開された「バクテリアにおける二成分制御系の研究」から、その分子機構の普遍性と多様性が明らかとなっている。さらに、当初はバクテリアに固有と思われていた「ヒスチジン・アスパラギン酸残基のリン酸化を介した情報伝達機構」が真核生物にも普遍化できることが明らかになり一層の注目を集めるようになった。
 図に示したように、一般的にHis-Aspリン酸リレー情報伝達系は、ヒスチジンキナーゼ(以下HKと省略)とその下流で働くHPt因子及びレスポンスレギュレーター(以下RRと省略)から構成されている。単純な情報伝達経路は、「シグナル→HK→RR→応答」であり、これが二成分制御系と呼ばれる所以である。複雑な経路では、「シグナル→HK→HPt→RR→応答」となり、リン酸基は多段階で受け渡される。これが、「His-Aspリン酸リレー」と呼ばれる所以である。いずれにしろ、これら普遍的な情報伝達因子に保存されたHis残基とAsp残基間でリン酸基転移が情報伝達の基本分子機構となっている。我々の研究室では、バクテリアにおけるHis-Aspリン酸リレー情報伝達研究の経験を基盤に、数年ほど前からシロイヌナズナを対象として、高等植物おけるHis-Aspリン酸リレー情報伝達因子群の総合的解析を開始した。それとほぼ並行して進められたシロイヌナズナのゲノムプロジェクトが完了したことと相まって、少なくとも遺伝子のレベルでは高等植物におけるHis-Aspリン酸リレー情報伝達系のフレームワークが明らかとなった。
 シロイヌナズナの全ゲノム配列を基にしたHK、HPt、RR関連遺伝子の総合的検索と解析の結果をもとに、シロイヌナズナに存在するHis-Aspリン酸リレー情報伝達関連因子を網羅して図に示してある。HKはエチレン受容体ETR1、サイトカイニン受容体CRE1/ AHK4を含め全11種類が存在する。HPt因子に関してはAHPが5種類、レスポンスレギュレーターは22種類存在し、その一次構造の特徴とサイトカイニンによる誘導・非誘導性の違いから2つのタイプ(Type-AとType-B)に分類される。興味深い事実として、アミノ酸配列から判断してHKと明らかに関連した分子種が存在する。しかし、その配列にはHKに保存されたHis残基が欠けている。さらに面白いことに、この分子種こそが光シグナルセンサーとして働くフィトクロムである。同様に擬似RRも存在し、必須のAsp残基を欠いている。これら疑似RRのあるものは、時計関連遺伝子として働いていることが示唆されている。これらの「擬似HK」や「擬似RR」はバクリアでは見つかっていないので、進化の過程でHK やRRから新たにインベントされて植物固有の働きをするようになったものと思われる。擬似HKが光受容体として、擬似RRが時計関連因子として機能している事実はこの考えとよく合っている。また、これらの擬似因子が本来のHis-Aspリン酸リレー情報伝達系とリンクして働いているという仮説は魅力的である。本研究室ではこのようにその全貌がほぼ明らかになったシロイヌナズナのHis-Aspリン酸リレー情報伝達因子群の機能解明を目指して研究を展開している。(より詳しくは、鈴木友美、水野猛 著 化学と生物 第40巻 第3号 2002年159ページを参照して下さい。また、本研究室のホームページhttp://www.agr.nagoya-u.ac.jp/seimei/seimei_kikou_saibou.htmlにもアクセスして下さい。)

戻る